北朝鮮のミサイルのニュースで思う事、Jアラートが鳴ったら。
1945年8月6日の曾祖父の話。
この日、曾祖父は日直当番のため朝早くから出勤していました。
雲の無い良く晴れた日だったそうです。
曾祖父はある学校の職員でした。
持ち場に行く前に日直として校内をみて回り、当直室で新聞を読むのが日課だったそうです。
夏休み中ですし、学徒勤労動員などで基本的に校内は閑散としていましたが、
幾つかの教室では活動している生徒さんと教師の方がいらしたそうです。
隣の教室では教師と女性と2名が活動しており、廊下ではなにやら物を運んでいる別の教師とすれ違いました。
見回りを終え、書籍を疎開した為に空になった本棚に囲まれた席で、
日課の新聞を読もうと席に座った刹那、
眩い光とともに大きな衝撃で目の前が真っ暗に。
爆心地から1kmちょっとの所だったそうです。
衝撃が収まり、自分の居場所を見てみると、
両側から倒れてきた空の本棚が互いに支え合った空間におり
奇跡的にほぼ無傷だったそうです。
廊下に出ると、天井の建材がハガレ落ち、大変な事になったと呆然としたそうです。
先ほど何かを運んでいた教師が血まみれになって立ち尽くしており、急ぎ手当が出来る所へ運び、
他の生徒や教師の様子を見てまわると、先ほど教室で活動していた生徒と教師は
教師の方が倒れており、生徒二人は為す術なく茫然自失していました。
見ると、教師の方は窓の外からの衝撃をもろに受け、女生徒二人は柱の陰で
助かったようでした。二人に手当が出来る所へ運ぶよう指示したそうです。
その後、校舎に火が回り、消火活動虚しく木造の校舎は焼けてしまったそうです。
わたしはこの事を曾祖父の手記で知りました。
(今手元に無いので、すこしあやふやな部分もあります。)
この事から今をこの時代を生きる私たちが得られる教訓は多いと思いますが、
これを読むあなたがどこの誰で、どのような立場であったとしてもこれだけはお伝えしたい。
あの日、原爆が落ちる瞬間、その前に
数秒あれば窓の側にいる人に、伏せろ、柱の陰に隠れろ、と伝える事ができた。
数分あれば曾祖父がいた所に避難することができた。
可能性の低い事かも知れませんが、起こらないとは言い切れません。
もし起こったとしてもそこで終わりではありません。
「jアラートが鳴ったら」
で検索して、あなたがいるその場所で、ご家族がいる場所で、鳴ったときどうするか、
考えてみて下さい。ご家族と、回りの方と話あっておいてください。
あまりこの場にそぐわない話かな、とも思いましたが、
ここもわたしの大切な場所になりつつあると感じ、書かせて貰いました。
ここまで呼んで下さってありがとうございます。
http://www.kokuminhogo.go.jp/kokuminaction/
#北朝鮮 #ミサイル #原爆 #広島 #Jアラート